白い部屋の片隅で

主に寝て食っています

《いつかの小旅行①》秋晴れのステンドグラス

 岐阜県岐阜市。一般的にあまり大きな印象は持たれていないであろうこの都市。東海3県の一つ、岐阜県の県庁所在地、というイメージが一番大きいだろう。ところが、そのイメージに付け加えられたものがある。「大河ドラマの舞台」である。今年の大河『麒麟がくる』は、明智光秀を主人公とし、その明智の出身地美濃が現在の岐阜なのである。のちに岐阜城となる稲葉山城は、ドラマの序盤の大きな舞台であった。ということで、『麒麟がくる』が日曜の楽しみである私は、岐阜市大河ドラマ館目当てに、秋の岐阜駅へ降り立った。

  大河ドラマ館は盛況で、小さな子供連れのご一家等も多く、いかにこのドラマが人気を集めているか実感した。かく言う私も、主演俳優が着用した実際の衣装を目の当たりにし、「こ、これをあの御方が着たのですか……!」と興奮を抑えられず写真を撮りまくったのだが。満足でその場を後にした私だが、やはり人が多く疲れが出た。どこかで休みたい、と私はすぐ入れそうな喫茶店を探してうろついた。

 普段なら、すぐにめぼしい喫茶店など見つからず、あきらめてド〇―ルなどに行く私だが、この日はツイていた。ビルとビルの間にたたずむ、小さな喫茶店を見つけた。ガラスのドアの向こうにはケーキが並んだショーケースがあり、更にその奥には薄暗い部屋があり、ソファがある。寛げそうな店内だ。

 入りやすそうな雰囲気ではないが、とにかく疲れていて座りたい私は躊躇なく入った。ショーケースの前の店員さんに、カフェ利用であることを告げ、奥の部屋に案内してもらった。あまり広くない店内。立派なコーヒーメーカーが置かれたカウンターと、ソファ席が4つほど。上を見ると、そのスペースの狭さに似合わず天井が高くて少し驚いた。中でも、あるテーブルの上だけ一際天井が高く、ステンドグラスで出来た天窓がはまっていた。なんとなく気になって、私はその席を選んだ。店内には私以外に客はいおらず、店主であろうか、30代後半ぐらいの男性がカウンターでコーヒー豆を挽いているだけだった。私はひとまずコーヒーを注文し、天井を眺めた。

 天窓は、ダークグリーンやら濃紺やらの三角が散りばめられたデザインで、透明度の高いガラスはほぼ使われておらず、こんな秋晴れの日なのにあまり光が入ってきていない。今まで見たステンドグラスは、何か意味のある柄が描かれているものがほとんどだった。花とか、教会なら聖書の場面とか、華やかな赤色は大体使われていたのに。この窓も目を凝らしたら何か意味のある柄が見えるんじゃないか、と私はソファに寄りかかってじっと窓を見ていた。

 そして、天窓の中央がぐしゃりと割れて壊れていくイメージが、私を襲った。次の瞬間、天窓のガラスが落ちてきた。落ちてきたのだ! もちろん目を疑い、一瞬頭が真っ白になったが、今まで暗い色だったガラスがキラキラと輝きながらこちらに落ちてきているのを認識して、とっさに腕を頭の上に掲げた。自分のことながら、必死であまり覚えていないけど、「ぐぎゃー」とか「ぐげー」みたいな信じられない奇声もあげていたと思う。

「あー。大丈夫ですか」

 そんな間の抜けた声で我に返った。声の持ち主は、カウンターの向こう側のあの男性である。こんな事態を前に、なんだその言葉は!と一瞬で憤りかけた私だが、そこで気づいた。自分の体はなんともないし、ましてや周囲にガラスの破片など一つもないし、そして店内は先ほどと変わらず薄暗いのである。恐る恐る天井を見上げると、そこにはあのステンドグラスがあった。相変わらず暗い色で、ほとんど日光を通していない。つまり、穴すら開かず、そのままの姿でそこにおさまっていた。

 茫然自失の私のもとに、男性がコーヒーを持ってやってきた。

「時々あるんですよ。その窓、実際には落ちていないのに、落ちてくるんです」

 その人は私の前にコーヒーを置き、ぼくがここの店主なんですが、とそのまま話を続けた。

 現・店主はこの喫茶店兼洋菓子店の三代目にあたる。喫茶店を始めたのは彼の代からで、それまでは喫茶店のスペースは作業所だった。この建物は彼の祖父の時代からあり、若干の改装工事等はしているものの、この天窓に関しては手を加えたことがなく、昔からあるものだという。

 作業所だったときは、ここで働く大人たちは手元に集中しているわけだから天窓など見ない。しかし、子供であった彼だけは、ぼんやり眺めて気づいた。「この天窓、落ちてくる!」と。そのことに気づいたとき、この天窓を作った祖父は亡くなっていたが、存命だった祖母に聞いてみたところ、けらけら笑ってこう言った。「あんたにもその力があったとはね」と……。

 私はふと入った喫茶店で何を聞かされているんだろう。私の横に立ち、ぽつぽつと話す店主を見上げ、段々頭がはっきりしてきた。

「つまり、この落ちてくる感覚を味わうことができる人は稀なんです。すごく限られた超能力みたいなものなんです」

 私はじゃあ、この天窓が落ちてくることだけは「見える」超能力を持っているのか?生まれてこの方幽霊を見たこともなければ、予知夢もみたことがない。平凡を地で行く生活だった。その私のはじめての不思議体験が、喫茶店の天窓落下とは、怖いやら気味悪いやら、いや、ばかばかしいか。でも嬉しさもある。非日常に出くわしたワクワクが少し湧いてきて、楽しくなってきた私はその店主といろいろ話した。

 岐阜市大河ドラマで盛り上がっていること。大河ドラマのどの登場人物が凄かったか。そのような世間話もしたが、なぜ喫茶店を開くに至ったかも聞いた。東京で製菓学校に通っていた時、バイト先のカフェの仕事が馬が合い、そのまま就職。洋菓子店に戻らなかったことに父にはあきれられたが、いつか実家でも喫茶店を開こうと、各地のコーヒーを飲み歩いたという。はじめて話す人だが、同じものが見える人だと思うと、気軽で話しやすかった。店主はコーヒーをもう一杯と、自慢のレモンケーキをごちそうしてくれた。楽しいひと時だった。

 店主ともう一度あの天窓を見上げたけど、今度は何も感じなかった。ただそこにはまっているだけだった。明らかに落胆していた私に、「いつも落ちてくるわけではないんですよ」と店主は笑って教えてくれた。

 また来てくださいね、と店主がおつりを渡して言った。私は「住んでいるわけではないのでわからないですが、またきっと来ます」と正直に言って、その喫茶店を出た。気づいたら外は日が落ち、星が見え始めていた。時刻を見るため取り出したスマホには、コンビニからのクーポンメールが入っていた。こうして、急に襲ってくる「日常」感に少しがっくりしながら、私は岐阜市をあとにし、自分の住む町に戻った。

 自分の思いがけない能力に出くわすから、一人旅が好きだ。また別の目的地で、私はどんな能力を発揮するのか。楽しみだ。

喪失について

 ひえー同期とのLINEグループに「みんな元気?」って送ったら1日経っても誰からも反応がねえ!みんな生命活動やめた?呼吸してないから、反応できないのかな〜

 とか考えないと平静を保てない、心の弱い俺。ていうか、直接会話してないLINEで、そんな一喜一憂するなんて、小学生のときだったら考えられないことだろ?何故私は、歳を重ねるごとに怖いものが増えていくのか。小学生の頃も、まあ臆病ではあったけど。

 最近、自分が昔親しんだコンテンツの出演者の死が絶えない。具体的に言うと辛くなるから言及はしないけど、すごく心が重くなる。永遠に続くはずの平穏が脅かされる、それが怖くて、自分の身に起きそうで目を背けたくなる。思うに、歳を重ねるごとに臆病さが増しているのは、私が今まで大きなものを失ったことがないからだろう。その喪失への想像は膨らむだけ膨らんで、いまや考えるだけで胸が締め付けられる。それをいつもは抑えてるけど、こういうニュースに触れると…もう本当にぐったりする。これは私だけじゃないと思う。良くないよ、本当に。見たくないものは見なくていいし、考えたくないことは考えなくていいんだよ。

 ということで、私は同期からLINEを無視されてることも考えないし、死の詳細を想像しないし、とりあえず部屋の片付けだけはします。掃除しないと、カビちゃうもんね。

美男子を見かけて考えたこと

 昔から、街中で「綺麗だな」と思う女性は何人も見かけたけど、男性で「綺麗だな」と思う人にはそう遭遇しなかった。いわゆる「イケメン」というタイプはなんだか不誠実そうで苦手というのもあるだろうが、本当に美しい青年は少ない。少ないというか、絶滅したのだろうと思っていた。街中を歩く美男子はもう存在しないのだ、画面上でしか見ることができない存在なのだ…と諦めていたわけである。

 ところが先日、電車内で、私の目の前で座っていた人が偶然美男子であったのである。涼やかな目元、すっと通った鼻筋、薄い唇はしっかり左右対称である(まだコロナ前だった)。凛々しい美しさ。すごい、こんな美しい男性初めて生で見た。スマホの画面を見るふりして、何度も見てしまった。そんな風に美男子を観察して、気づいたことがある。丁寧な手入れがなされているのだ。

 眉毛の形が綺麗に整えられていて、口元には髭一本ない。スマホを操作する指にも、腕にも毛がないし、髪の毛はきちんとセットされている。

 はい。そういうことなのです。美男子は生まれながらにして美男子ではない、不断の努力をもってその清潔感と凛々しさを表面に出しているのです。確かに顔のパーツは恵まれているのだろうけど、それだけではここまで美しくならない、毛の一本にさえ気を遣うその心が外見に表れる、ということだろう。

 結論として、私が言いたいことは、女の子には毛がないのが当然と思っている男よ、お前も毛を剃れ、一本残らずな!!!!

初夏、蒸し暑さの訪れ

 夏は好きですか?あ、私は嫌いです。

 むしろ夏のいいところを教えてくれ。暑い、手汗が出る、紙をさわると濡れる、めくれない…というこの悪循環だけでも憎むに十分だ。プール?海?スイカ割り?…そんなものここ5年くらい無縁ですわ。水着を着ようという気力が万人に湧くものだと、決めつけないでほしい。

 あとこれは最近の発見なんだが、少し暑くなってきたこの時期、皆さん窓を開けっぱなしで部屋の中で過ごすと思う。夜とか、近くの部屋の人が大声で話しているのが聞こえて、なんとも騒々しい。…しかしこれは、自分も大声で電話などしていると近隣の方に聞こえてしまっている、ということなのだ。ここで普段の私の行動を顧みてみると、非常にまずい。私は「相手」がいる電話でもかなり笑うけど、「相手」不在のテレビを見ている時ですら爆笑している。恥ずかしい。非常に恥ずかしい事態ですぞこれは!!だからと言って私は爆笑することをやめはしない。これが私のストレス発散法なのである。家で笑わないと、外で爆発してしまう。というわけで、近隣の方にはご勘弁いただきたい。あ、窓開けずにクーラーつけたら解決する話でしたね。今年は早めにクーラーをつけることとしよう。

謎だらけの結婚

 結婚なんてする意味あるのかな。子供を産み、育てる生活が本当に実在するのかな。最近、急にそう考えるようになった。

 就職するとき、結婚と子育てを前提に物事を考えて選択した。大学でも、将来子供に学生時代の話を聞かせたいと思っていた。その前、中学でも高校でも、友人らと、夫と子供がいる将来に妄想を膨らませた。

 「結婚」なんて漠然とした遠い未来だったのに、先日、1学年上の先輩同士が結婚した。あれ?おかしいな、ともやもやしたものがその時から私の頭の中に残っている。結婚が実在するのか、自分の身にも直近で降りかかり得るものなのかと気づいたからか。

 そこで結婚のいいところ、わるいところを考えてみた。職場のおじさんに結婚してよかったことをきいてみた。絶対的な自分の味方ができること。ひとりじゃなくなること。帰ると誰かが迎えてくれること。聞いていたその時は羨ましいな、と思ったけど、冷静に考えてみればそれが自分にあてはまるとは限らない。この意見をくれた人たちは妻が主婦である夫の立場。あはは、いいなその立場。羨ましいぜ。あと、「ひとりじゃない」ていうのも、完全には納得できない。人はひとりで生まれ、ひとりで死ぬ…結局はひとり…とネガティブな考えに行きついてしまう。いま気づいたが「絶対的な自分の味方ができること。ひとりじゃなくなること。帰ると誰かが迎えてくれること。」って、実家のお母さんじゃないかい!!

 じゃあより普遍的ないいところってなんだろう。そう考えると、経費削減の面が際立つ。二人でばらばらに暮らすより、食費も光熱費も、そして税金さえも抑えられる。あ~世の中金。結局金かい!!!!

 わるいところは、独身時代より自由がきかないとか、ひとりの時間が少なくなるとか、なんかぼんやりしてるけど嫌だな、というのはわかる。じゃあ結婚する意味って何ですかね?金ですかね?と、中学生並みのひねくれた答えに行きついてしまった。

 子どもを産むことも、もうなんか嫌だ。普通に怖い。なんで女だけあんな命の危険にさらされるのかと、その理不尽さに腹が立つが、あまりのどうしようもなさに呆然とする。「俺の子供を産んでほしい」とかいう台詞でプロポーズする男が実在するかはわからないが、もし仮にいたらあまりの怒りでぶん殴る自信がある。仮定しただけで腹が立ってきた。

 腹が立っていつも考えが深まらない。結婚してもしなくてもいいよ!同性同士で生涯一緒にいてもいいよ!日本は出生率低いけどいいよ!子育ては当然父親もするよ!…ていう社会にならないかな。そうではない現実、強固な社会的通念。ハウスメーカーのCMは必ず夫婦と幼い子供で、結婚したら姓の変更の手続きが煩雑で、ちょっと考えるだけで辛くなる。高校の友人は、互いの子供を遊ばせるのが夢と話してくれたけど、私はそれに応えられるかわかりません。ごめんなさい。

「何か始めよう」から一年

 思えばかつて、生活圏の変化をきっかけに、今まで自分と縁のなかったものを始めようと考えはりきっていた。そうしたら、知らぬ間に一年、何も始めないまま過ぎようとしている。一年って短いようでだいぶ長い期間なんだよなあ。私はそんな時間のなかで何をしてたんだ、本当に。

 引っ越し直前、私はバドミントンを始めようと思っていた。同期で大学までバドをやっていた人がいて、社会人サークルでも続けると話しており、詳しく聞いてみると意外と敷居が高くないよう感じたためである。そして引っ越し後、私は自分で探した社会人バドサークルに一人で出向いた。夏の蒸し暑い日であった。さて、バドミントンは室内競技で、軽い「羽根」を突き合うスポーツである。軽いものを飛ばすということは、無風の環境の方がよい。それはもちろん、夏の暑い日でもだ。…暑い日の体育館で、熱を発する人間が多く集まると、こんなにしんどいものなのか。この感想が、終わったあと残った。楽しさも少しは感じたろうが、それも吹き飛ぶほど、暑さへの憂鬱が強かった。暑さに耐えてやるほどの根性を持たなかった私は、バドミントンを諦めた。

 バドを諦めた後、私は一度帰省し、母とぼんやり話していた。私の暇を察知した母は、自分の趣味である茶道を執拗にすすめてきた。聞き流すのが得意な私は、「考えてみる」と言って実家から去ったが、その後も電話をするたび茶道の良さを語ってくるようになった。うるさいなあと思いつつ聞き流しを続けていたが、段々母の口調が変わり、「そんな暇なんだから何かはじめなきゃあんた駄目になる」のような言葉を口にしはじめ、いよいよ無視できなくなってきた。私も茶道に1㎜も興味がないわけではなかったため、「年明けから始める」と母に告げカルチャーセンターでの講座を探し始め、予約した。…というわけで、茶道を習い始めた。

 一年を振り返ると、始められたことあったじゃん、と自分をほめたくなるが、ここで現在はどうか顧みてみよう。ここでも新型コロナウイルスの影響が…。茶道を初めて二か月経って、講座が休講になり、そのまま再開することはなかった。茶道が好きで続けたい人は、そんな状況下でもYouTubeで動画を見て稽古を積むのだろう。だが、二か月のなかで私はあまり茶道を好きになれず、休講になったことが辞められる口実にできると、若干嬉しくもあった。…こうして茶道はフェードアウトした。

 他にも挑戦はしてみた。料理(続かない)。フランス語(ラジオ聞いただけ)。資格試験(落ちた)。編み物(使えないマフラーができた)。書いているとなんか悲しくなってくるな。

 結局、続いているのは映画鑑賞しかない。アマゾンのfiretv stickを購入し、鑑賞環境が向上し、むしろ観る熱があがった気がする。本当に、好きなことしか続かないんだな。長期的に考えたらそれではいけないのだが、悲しくなってしまうので、ちょっと今は考えるのを辞めようと思う。心の底からやりたいことが見つかるよう、祈っている。

「花ざかりの君たちへ」はいいぞ

 最近マンガアプリをダウンロードしたのだが、期間限定で全話無料になる作品があり、一気に読むなどしている。

 そんななか、「花ざかりの君たちへ」が全話無料になったと目にし、仕事から帰ってアプリを開いたわけだが……。全話読み終えたころには、貴重な休日の夕方に差し掛かっていた。ページをスクロールする手が止まらず、全150話近くを一日で読み終えてしまった。

 ところで、「花ざかりの君たちへ」についてご存知だろうか。中条比紗也作の少女漫画で、かつて「イケパラ」の名で一世を風靡したテレビドラマの原作である。アメリカ在住の少女・瑞稀が、憧れの高跳び選手・佐野に会うため、全寮制の男子校に潜り込む、というあらすじだ。これだけ聞いたらゾッとするような物語だが、恋愛ものとしても、学園ものとしても凄く面白い(語彙)。女の子が男子校で生活するという異常な設定も知らないうちに受け入れてしまう。

 実は、この漫画を読むのは初めてではない。小学生のとき、友人に愛蔵版を借りて全話読んでいた。すでに「イケパラ」が放送されていた時だったので、ある程度設定は知っていて、ドラマとはなんだか違うなあくらいの気持ちで読み終えた。

 そして時は流れ11年。媒体は変わったが、私は再び同じ作品を読み、初めて読んだあのときとは比較できないほど夢中になって最終話までたどり着いた。なぜそこまで面白く感じたかも含め、この作品の凄いところを説明したい。

 

  1.  絵が綺麗。特に横顔!!! 鼻筋やまつげ、唇の形など細部までこだわっていて、さらに顔から首、肩にかけてのラインが美しい。目を閉じたときの瞼のふくらみと、バサバサのまつげ、絵だとわかっていても惚れ惚れする。ずっと見つめていたいくらい綺麗なのである。脚がすらっと長いのは少女漫画では常識のようなものだけど、その脚の筋肉の付き方がリアルで、人間の「肉体美」を感じるのもポイントが高い。
  2.  全キャラクターの名前。瑞稀が飛び込む男子校は桜咲(おうさか)学園というのだが、登場する生徒、先生まで、関西(主に大阪か)にある駅名にちなんで命名されている。例えば、瑞稀の苗字は「芦屋」(兵庫県)だし、佐野のフルネームは「佐野 泉」で、どう考えたって泉佐野大阪府)。「難波 南」という先輩がいるのだが、その叔父で校医は「梅田 北斗」という。どちらも大阪の繁華街に由来する(なんばは南、梅田は北にある)。特にすごいのが、近くの女子校の生徒会長、「花屋敷 ひばり」。これは阪急の「雲雀丘花屋敷」駅でしょうね。姓と名の分解が絶妙で、なんとも少女漫画らしいロマンチックな名前である。関西に縁もゆかりもなかった小学生時代に比べ、何度か関西で電車に乗った11年後の方が、そのこだわりに気づき面白いのだろう。
  3.  艶っぽさ。自分が小学生のとき読んでたのが信じられないほど、なまめかしいシーンの多い漫画である……。ゲイの梅田先生は、瑞稀が保健室に遊びに行くと知らん男と抱き合っていたりする……。とんでもないだろ……。コンプライアンスはどこ行ったと突っ込みたいが、梅田先生の体のラインがあまりに色っぽいので黙ってしまう。そういうシーンではなくても、線の細い美少年も、筋肉隆々の運動部員も、それぞれ違った魅力を描き切っていて、少女漫画にしては珍しく男性特有の美しさにフォーカスしているのではないだろうか。そのような点で、少女漫画だけどBLの要素も入れているのだと思う(すいません、BL漫画詳しくないですけれども)。作品内で描かれる恋愛模様も多様で、うまくいくものだけではなく、愛しているのに別れた元夫婦など、大人の世界を覗くようでちょっとわくわくする。小学生の時は、その色っぽさすらわからなかったので、成長したな私。

 

 以上が私が考える「花ざかりの君たちへ」の魅力である。でも、やっぱり横顔が綺麗なので、まずは絵だけでも見ていただきたい。あまり生身の人間に会う機会が少ないだろうから、少女漫画で擬似人間関係を楽しみましょう。どこかで聞いたが、生活習慣が悪いと人間ときめけないらしい。自身の健康さを計るメーターにするとよいのでは。この作品を読んだ人と、どのキャラクターのどこが好きか、語り合うのを楽しみにしている。