白い部屋の片隅で

主に寝て食っています

ワンピース離れ

 学生時代、ワンピースをよく着ていた。毎日私服で、着る服を考えるのが本当に面倒で、その手間が軽くなるからだ。「可愛いから」という積極的な理由でワンピースが好きな女性もいるだろうが、私の場合は手間の面だけ考えた非常に消極的なものである。

 社会人になると、平日着る服はなんとなく決まってくるので、週末だけ好きな服を着ることができる。そのため、着る服を選ぶことが面倒とは思わなくなり、気づいたらあまりワンピースを着なくなっていた。

 気づいたら夏はもうすぐそこに来ている。夏……。スイカ、花火、浜辺、白いワンピースに、麦わら帽子……。自分自身が着るかどうかは別として、夏はワンピースが似合う。風に揺れる様子が涼し気だからだろうか。まあ風物詩のようなものだろう。

 昔、友人と買い物に行った時、私は白いワンピースを試着した。それまであまりワンピースを着ることのなかった私は、ワクワクして試着室から出て、友人に見てもらった。その子はじっと私を見つめ、半分わらって「なんか天使みたいだね」と言った。天使ってなんだよと思い、しかしその半笑いで誉め言葉ではなかろうことを予想し、もう一度自分の姿を鏡で見てみた。「天使」という言葉が的確で、思わず吹き出しそうになった。つまり、クリスマスやハロウィーンで、幼い子供がお母さんの作った天使のコスチュームを着ているみたいなのである。はっきり言って「全然似合っていない」。それをあえて直接言わず、的確な比喩をするワードセンスに感服した。それから私のなかで、夏の風物詩「白いワンピース」はただ憧れるだけのものとなった。

 ワンピースは可愛いかもしれないが、似合うかどうかがかなり紙一重で、いいと思って購入しても、全然似合わなかったり着心地が悪かったりする。リスキーな服、という側面も見えてきた。しかし、知り合いの男性が「ワンピースは女の子しか着られない服だから、もっと積極的に着ればいいのに、俺は好きだなあ」と言ってきたことがあり、心の底から余計なお世話だと思った。私は私が着たい服を着る。他人が好きな服を着てあげる筋合いなどないし、女性らしさを感じたいときに感じるので、ほっといてくれ、と言ったところだろうか。角が立つので言えなかったが、その人の前ではワンピースを着まいと、心に固く誓ったのであった。